8歳位から、母親も一人で外出する事を許してくれた。
俺は毎日の様に足柄山に行き、トレーニングや、富士山を見ては、令和に残した家族について思い出す日々を過ごした。
体も10歳頃には、170センチ位になり、この年齢としてはかなり大きく成長した。
武道の鍛錬も、頭と実際の体とのギャップが埋まり、目論見通り、俺は達人のレベルに向けて順調に成長していた。
それから、この頃一生の友とも出会った。
金太郎の昔話では、「動物と相撲の稽古」と言う下りがあるが、実際に稽古をしたのは、歳の近い人間だった。
初めて会ったのは、恐らく11歳の頃だったと思う。
いつもの様に山で稽古をしていると、2人の子供が俺に突然声をかけた。
顔を見ると幼く、2人共に俺と年齢は同じくらいに見えた。ただ2人とも体が規格外に大きい。
「おい。いつもこの辺にいるが、お前は何者だ」
「俺達が遊んでいる場所で、いつも何をやっている」
その時代に、様々な型を繰り返して練習している俺の事が、不思議な奴と映ったのかもしれない。
最初は、お互い名前も名乗らず、力比べをすることになった。
体つきは、俺よりひと回り以上は大きいし、2人とも自信がある様だった。
一人目との対決。
年齢は俺と同じくらいに感じたが、身長は私よりも少し大きく、体重は100キロ位はありそうな大男だった。
その突進の圧は言うまでもなく強かったが、俺はその右手を引き込むと、相手の力を使って豪快に背負い投げで豪快に投げ飛ばす。
豪快に投げとばされた後、とても悔しそうだった。
「もう一丁」そう叫んで、再び挑んで来る。
勢いは強いが直進のみの攻めだ。
今度は巴投げで投げ飛ばす。
大男だけに、こんな風に同年代の子供に豪快に投げられたのは初めてだったのだろう。
びっくりした表情で俺の事を見つめて、固まったままだった。
もう一人が、「今度は俺だ」と挑んできた。
こちらは、身長は180センチ位あるし、一人目の男よりは身長がある分、太っていないが、こちらも100キロ位はありそうな大男だ。
こちらは最初の対戦を見てか、慎重に俺に向かってきた。
俺を羽交い絞めか何かにしそうな感じだった。
今度は俺の方から攻めた。足技で体制を崩すと、締め技で挑んだ。
恐らくこんな攻撃を受けたのも初めてだったのだろう。あっと言う間に技にかかった。
暫くは我慢していた様だが、観念したのか、「参った、参ったと」早々に降参した。
実際に力だけであれば、2人の方があったかもしれないが、俺は2人を順番に柔道技で負かすことができた。
それから2人共、「お前、つよいなあ」とこにこしながら近づいて来た。
2人は口を揃えて、「今まで、大人でも俺達より強い奴はこの山にはいなかった」と言った。
最初に戦った子は、「お前には心底驚いた。手を掴まれるとその瞬間に投げ飛ばされる」
と言い、2人目の子は、「お前は凄い。俺達も強くなりたい。俺たちを鍛えて強くしてくれ」
「師匠と呼んでもいいか?」
そう言ってきた。
俺は、「師匠にはならないが、お前達の友達にはなれる。一緒に強くなろう」と言った。
2人は嬉しそうに笑って、その日から、毎日の様に会う親友になった。
平安時代に来て、初めてできた親友だ。
2人は思った通り俺と同じくらいの年齢だった。
同じくらいと言ったのは、当時は自分が何歳とかあまり認識がない様で、いろいろと話を聞いていると同じ様な年齢である事がわかった。
最初に戦ったのは猪谷元太、とにかく力が強い。そして思い込んだら、一本道の漢気のある奴だ。
もう一人、2人目に戦った子は、熊田信太。こちらもかなりの力持ちだ。その上、情に厚くて冷静だ。
それから俺は、2人の事を、親しみを込めて「元ちゃん」「信ちゃん」と呼ぶようになった。
彼らは、俺の事を信頼してくれて、「金ちゃん」と呼ぶ。そして、「一生ついていく」といつも嬉しい事を言ってくれている。
俺は将来、この2人と一緒に日本中の悪い奴らを懲らしめたい。
その為にも優秀な武将になって欲しいと思う。
俺は二人に文字や様々な戦う為の知識を教えた。