それから、俺はたくさんの人達に誕生を祝福された。
入れ替わり立ち代わりたくさんの人が、俺の2人目となる母親に祝いの言葉をかけた。
近所や親戚の人達は、皆、平安時代を舞台としたドラマで見る服装だ。
言葉遣いは、母親と家の住み込みで働く人が関西弁。
それもイントネーションの感じでは、恐らく大阪ではなく京都の言葉を使っていた。
この家を訪れる他の客人たちは東海地方の言葉を話している。
俺の母親は、東海地方と京都の言葉の両方が使える様だ。もともとの出身はこの付近なのだろう。
しばらくの間、京都にいて、今はこちらに戻ってきたという感じだ。
それからも、沢山の訪問者と母親自身が、過去の出来事について話すのを聞いているうちに、概ね状況が把握できた。
改めて整理すると、やはりここは平安時代で西暦1000年頃。
母親は、令和で言えば静岡県、「中島の里」の彫物師「十兵衛」の家で生まれた。
そして、宮中の仕事を父親の「十兵衛」が請け負った縁で、十兵衛の娘、すなわちこの時代の私の母である「八重桐」という名の女性が、京都の宮中役人で蔵人を務めた「坂田」という人と結婚した。
この時代の蔵人は平安時代の宮中役名称で、確か官位も五位か六位辺りなので、かなり上の役人で庶民から見るとエリートだ。
その後、その蔵人の夫は、数年前病気で急死し、妻の「八重桐」、今の俺の母親は、故郷の実家に身の周りの世話をする供の女性と一緒に帰ってきた。
母親は、結婚後、子供を一度も産むことなく、帰って来た時には年齢も50歳は優に過ぎていた。
令和の常識では、数年前に夫も死亡しており、現実的には子供が生まれる可能性はない。
しかし、母親は、夢の中で龍が「子を授けよう。しっかり育てよ」と命じた。
そして、その後身ごもったと皆に説明している。
‥‥おいおい神様、あまりに設定が雑すぎないか?
この女性に、龍の夢を見させ、人口受精の様な形で妊娠、俺を誕生させたという訳だ。
しかし、改めてこの時代の人達は、不思議な人達が多い。
こんなバカげていて、非科学的な話も「ただただありがたい」と信じ、当然の事として受け入れれる。
話をまとめると、だいたいそんな感じだ。
それから暫くして、俺の名は「金太郎」に決まった。
驚いた‥‥というか、俺があの「金太郎」
あの、「まさかり」を担ぐ金太郎が、どうやら俺の様だ。
苗字は坂田だから、なんとなく嫌な予感はしていたが、フルネームで「坂田金太郎」
あの昔話でおなじみの金太郎か‥‥
有名人に生まれ変わったのは、とても興味がある。
しかし「令和の時代に戻って家族に会いたい」という最重要な点では、絶望的な環境下にある事も改めて思い知らされた。
これからどうやって生きていくか。
金太郎と言えば、まさかこらから大きくなって、毎日熊と相撲して、坂田金時と言う名の侍になって死んでいく‥というのが俺の2度目の人生なのか。
どうでもいい話だが、昔よく見た金太郎の絵本だと、あの赤い腹掛けと「ふんどし」を着て、ほぼ半裸で街中を歩くのだろうか。
30代のおじさんとしては、耐えられない。正直恥ずかしい。
それにしても、退屈だ。
時間に追われる令和の時代に生きた30代の男が、今では何もできない赤ん坊。
暇を持て余し、つまらない事ばかり考えてしまう。
ますます神様に対する愚痴も出る。
「勘弁してくれ」と声を大にして言いたいのだが、一向に神様は俺の前には出てこない。
「本当は、直ぐに現れる事もできるはず。出て来て俺に何か言ってくれ」
声を大にしてそう言いたい。
兎に角、現状認識後のショックは大きいものだ。
神様。何が、「他の神様にも頼んでみて調整してみる」だと。
「嘘ばっかりだ」
1000年も時代が離れていて、現状のままでは、令和の家族に会う可能性はない。
平安時代に生まれ変わって、生きる目的を失い、当初は何も考えられない状況だった。
しかし、それから何年か過ぎて、少しずつ前向きな気持ちにもなった。
そもそも、人間に生まれ変わる事ができたのだから、これから生きていくうちに、また神様と会う事ができれば、令和に戻れる可能性も無いわけではない。
当面、平安時代での新しい人生を、「楽しんで生きていくしかない」と思い始めていた。
悲しんでいてばかりでは、2度目の人生は生きられない。
この時代で、俺に何ができ、何をするのか、何を残すか。
神様がこの時代に送り込んだのだから、何か来た意味もあるのだろう。
時間はたっぷりあるので、これからその答えをじっくり見つけてみようと思った。
それから、月日はあっと言う間に流れた。
体は子供で頭の中は大人という不安定な状況で、当たり前だが、なんでもできる神童として育った。
歩ける年齢になると、母親の目を盗み、令和時代毎日続けていた武道の修練を始めた。
今度の人生は、時間もたっぷりあるし、過去の経験と知識をフル活用すれば、成人する頃には心技体揃った類まれな武道家になれるかもしれない。当面、今度の人生の目標だ。
自分自身に課す、生き抜く為のミッション。そんな風にも考え始めていた。
気持ちの整理はつきつつあったが、とにかく毎日が退屈だった。
日常生活には、令和と違ってネットもテレビも雑誌も、乗りのいい音楽もない。
6歳になる頃には、文字の読み書きを覚えたいと母親にお願いした。
母親はそれを聞いて驚いたが、希望を叶えてくれた。
そして、親戚の叔父に習い始めた。
この時代で使う文字は基本漢字だ。
文字も崩してあり、現代人にはなかなか理解できない。勿論、書く事も容易ではない。
俺に足りない平安時代で生きる為のスキルと決めて、熱心に励んだ。
1年も経つと叔父さんの能力を超えるレベルとなり、周りからはただただ驚かれた。
でも、これはちょっと目立ち過ぎてまずいかな。金太郎は将来、「坂田の金時」という侍大将になるはず。文武で言えば武で名を馳せるはずだ。文はないかなとは思いつつ、唯一関心のある新しい分野なのだから、まあ許してもらおう。
それに、死んだ父親は宮中の蔵人の役人だから、文人だ。
このままいけば、「俺も宮中に上がれるかも」と思ったりした。
平安時代は、たいくつな日々だったが、唯一幸せを感じられたのは母親の美味しい料理だった。
京仕込みの見事な料理で、味もこだわりがあり、匂いがとても上品で、この時代でも「匂い」に人生を救われていた。
毎日ご飯を沢山食べ、立派な体格の、昔話のイメージそのままの「金太郎」に育っていった。
歩ける年齢になると、ひとりで外出できる様になった。
誰も俺の事を誰もしらない遠い所へ、毎日歩いて行った。
特に気に入ったのは近くにある、足柄山だった。この山に登ると、そこから富士山が良く見える。
富士山は、令和の時代に見た富士山と何も変わらない。
何か、平安時代と令和の時代を結びつけてくれる場所の様な気もした。
そこへ行けば、家族を思い出して自然と涙が溢れる。
何か家族に話したいうれしい出来事や悲しい事が有った時には、そこで長い時間座り込んで、富士山を見ながら話しかけた。
足柄山では、誰の目もなく、なんの気兼ねもなく日々の武術の修練ができた。
そして10歳の頃には、体も大きくなり、自分のイメージ通りに動く様になった。
ちなみに、「赤い腹掛け」はどうしても恥ずかしく、母親に頼みこんで、令和で言えば、パンツの様なものを作ってもらった。
ただし、母親のこだわりで、目立つし、縁起もいいと言って、服の色俺の好みではない赤だった。
これだけは、金太郎の物語のイメージ通りだ。