土蜘蛛との戦いから早いもので、1年が過ぎた。
俺達は相変わらず、無双の戦いぶりだった。
その評判が都中に轟いた事もあって、盗賊達の活動自体も大人しくなり、都はいつになく平穏な日々を取り戻していた。
治安が良くなった事は、帝のお耳にも入って、大そうお喜びになった。
検非違使の予算も大幅に増額されて、部隊や兵士も増えた。
それから「俺達四天王と一緒に戦いたい」という部隊への志願者も、都の内外から優秀な人材が集まって来る様になった。
俺達は、今ではそれぞれ部隊長となり、頼光さん配下は、組織的な運営により都の治安整備を実現させていた。部隊の規律は俺が提案した諸法度によるものだった。褒賞や罰則ルールは極めて公平なもので、それぞれモチベーションが湧くものに設定し、更には貴族や平民等、身分を超えたこの平安時代には、かつてない成果主義や実力主義さえも仕組みとして徹底させた画期的なものだった、
頼光さんは、やはりひとかどの人だ。こんな平安時代にはあり得ない尖がった提案も、この当時の貴族達にとっては、自分達の既得権の崩壊に繋がりかねない可能性もあるのだから、本来、反対や導入に慎重になるのが普通だと思う。
だが、「すばらしい」と手放しで喜んでくれ、全てを受け入れてくれた。
日本の歴史上、正確にはこの様な仕組みは、随分後の時代になってから実施されたものだ。史実よりはかなり早い時代に思い切って「やってしまった」とでも言うべきものかもしれない。
有名な江戸時代の武家諸法度でさえ、この平安時代から何百年も後の出来事だ。世界中何処にも存在しない「最先端の仕組み」なのだから。
この時代以降の時代への歴史的影響など心配な面もあったが、都のあまりにも悪い治安や、警護体制の脆弱さを憂慮して、まあ「どうにでもなれ」と割り切って実施したものでもあった。
そんなわけで、四天王の評判は都中にますます轟き渡っていて、あまりにも名声を得ていたものだから、その奇抜さや妬みもあるのだろう、一部の貴族から反感もかっていた。
だが、頼光さんによると、先日も恐れ多くも帝からは、こんな仕組みさえも高い評価を得る事ができ、お褒めの言葉を頂いたそうだ。
頼光さんは、この頃には、既に異例の大出世を遂げており、正四位下摂津守に任命され、昇殿さえ許される身分になっていた。歴史的には、この後、清和源氏の礎を築いた人として知られる事を令和を生きていた私だけが知っている。
綱さんも、以前から既に貴族だったが、頼光さんと同じように順調に出世を遂げて、その頃には正五位下丹後守になっていた。
一方、俺達3人はどうかと言うと、驚くべき事に、頼光さんの推薦もあって貴族の末席に名を残す事になっていた。
元ちゃんも信ちゃんも、足柄山の時代から、熱心に勉強をしていたので、この時代の人の和歌とかの一般的な雅な教養とはちょっと違うかもしれないが、武官としての武術のスキルに加えて、令和仕込みの合理的な知識や教養を兼ねそろえていた。
そんな俺達の文武両道の活躍も都で評判となっていたから、帝のお耳に入ったのかもしれない。
その後、元ちゃんも信ちゃんも、頼光さんや綱さんの紹介で都の貴族の娘と結婚し、幸せな家庭も築いていた。名前も今では元ちゃんが碓井貞光、信ちゃんが卜部季武と名乗っていた。
俺にもしつこく「嫁さんを貰え」と、頼光さんや綱さんだけでなく、しまいには元ちゃんと信ちゃんからも、「結婚はいいぞ」とのろけ話と一緒に、毎日の様に言われていた。
「そんな事、俺が一番知っているよ」と皆に、本当はそう告白したい。俺には令和の時代の世界に、愛する有紀さんや香がいるのだから。
まあ、皆に断り続けていたら最近はあまり言われなくなった。
兎に角、毎日、目が回る様な忙しさで、時間はあっと言う間に過ぎていった。