長編オリジナル小説 「平安ヒーローズ 真 竹取物語」 (4-1 物語番号22) 第四章:真竹取物語 第一話:金時、昇殿人になる

小説

酒呑童子はこの世から消えた。リーダーを失った集団はひとつに纏まるわけもなく、自然とその勢力はいくつかに分裂していった。

俺達は、それから半年程かけて残党勢力をほぼ全て殲滅する事に成功した。

俺は、酒呑童子の命を奪う時、令和の人間としての道義上の迷いがあった。

その迷いが良かったのか悪かったのかは判らない。

だが、その自分自身の思いを吹っ切る為にも、残党殲滅の際には先頭に立って戦った。

それが、自分自身へのけじめだと思ったからだ。

そんなある日、頼光さんが「金時、帝がお前に参内せよとの命だ。大変な名誉だ。きっとお前の評判がお耳に入ったのだろう」と言われた。

帝が何かの噂を聞かれたのかどうかはわからない。

正直、あまり乗り気にはなれなかった。

正直、令和の時代から平安の世に来て、この時代での出世を求めている訳ではない。

出世にはモチベーションはなく、ただ生きる望みは令和の時代に戻ることだ。

しかし、呼ばれた事は何かの運命かもしれないと思った。

それと、この時代のトップである帝がどんな人なのかは興味があった。

俺は頼光さんに「帝はどのような方ですか」と尋ねた。

「私も参内する様になって5~6年程だが、お会いする時はいつもお優しく、知性と人情に溢れた方だ」

「きっと帝になられるまでに沢山の兄弟や、対抗勢力との確執で大変なご苦労されたのもそんなお人柄に繋がったのかもしれないな」

そう答えた。

その翌日には早速参内する事となった。

帝の前でご挨拶をしたが、簾の様なものの後ろにいらして、直接お顔は見る事はできなかった。

帝は初対面の私にも随分機嫌よくお声がけになり、「朕はお前の活躍をあちこちから聞いておるぞ」

「頼光からは、お前は知力にも長けており、自然現象への知識や、聞いたこともない興味深くて、面白い話の語り部としての才にも長けていると聞く」

「今後、度々参内し、朕に話をしてくれないか」

驚いたことにそんなお願いをされた。

私は断る理由もなく度々参内する事になった。

帝と話す機会を持つ事になっての感想は、何事にも興味を持ち、欲しいものは手に入れたい気持ちの強い人という事は判った。

参内する様になってから、暫く経ったある日、帝から驚くべき提案があった。

いつになく真面目な声色で「金時、今日は折り入ってお前に頼みがある」

「朕の片腕の右大臣阿部家が唯一の男子を疫病で失った。その右大臣も重い病でもう長くない。

お前に阿部家の養子に入ってもらいたい」

「ただ、坂田金時として名門の阿部家に入るのは困る」

「一旦坂田金時としての人生を終えて、然るべき家に一度養子となり、その後、阿部の名を継いでほしい」

そう帝は仰る。我が耳を疑った。

それに、一度死んだ事にして、他の人間になり、もう一度他の家に養子に入るとは、この時代のしきたりはほとほと面倒くさいものだと思う。

俺は帝に「お上。誠にありがたいお話ではあり、勿論お断りする理由は何もありませんが、今の生活もあり、相談をしたい人もいるので、少しだけ時間を頂けませんか。直ぐにお返事いたします」

そう答えて、一旦屋敷に戻った。

母には後から事情を話すとして、問題は今の忙しい仕事をどうするかだ。

俺は頼光さんと四天王の皆に相談をした。

頼光さんは「こんな名誉な事はない。直ぐに受けるべきだ。阿部家は藤原と並ぶ名家だ」

「今の仕事は皆がなんとかしてくれるだろう。そうだろう、皆のもの」と言った。

綱さんはそれに呼応して、「四天王のお前がいなくなるのは正直痛いが、今後は違う形で我々や帝を支えて欲しい」

「後の事は俺達でなんとかするから」

と言ってくれた。

元ちゃんと信ちゃんは、「金ちゃんの事をそこまで思ってくれるとは、やはりお上は流石だな。流石に見る目がある」

「それにしても1回死んだことにしてから、養子になれとは、貴族の世界はほとほと面倒くさいものだなあ」など呑気な事を言っているたが、2人とも心から喜んでくれた。

頼光さんは「よし、それでは坂田の金時は遠くに遠征に行った時、戦いの最中、命を落としたという事にしよう。この事はここにいるメンバーだけの秘密にしよう」と言ってくれた。

翌日、参内し、帝に返答したら大そう喜んでくれた。

そしてその年の暮れには阿部家に入り、私は、阿部御主人、読み方は「あべのみうし」と言うのだが、新しい人間となり新しい人生を歩む事となる。

それから令和の知識を活かして、数々の改革や、災害・飢饉・疫病対策を次々に実現させ、その度に異例の出世を遂げた。

恐らくは帝をはじめ貴族たちは、俺の事を、不思議な力を発揮する陰陽師の様にも考えていたのかもしれない。

平安時代の陰陽師と言えば、後世にも名を馳せる安倍晴明とも知己を得た。

なかなか柔軟な考え方をする面白い男だった。

俺と何かと気もあった。

それまであまり令和の知識の細かい所は誤解を招くと思ったので、人に話す事はなかった。しかし、晴明には何でも惜しみなく話すことができた。それだけの価値のある男と思ったからだ。

思えば、この安倍晴明は不思議な事を次々と実現し、後に陰陽道を統括する安倍氏流土御門家の祖とも言われる。

その有名なエピソードのひとつが、日食の日時をピタリと当てたと言われているが、実はその知識も俺が教えたものだ。

晴明は律儀に「その事実を利用してもいいか」と尋ねた。

俺は「この時代をよくするためにお前が必要と思うならやってくれ」と言った。

晴明は笑いながら「上昇志向はない。弱きものを助けるためにこれから生きていく」と言った。

「お前はこれから長い時代唯一無二の存在になり、1000年以上も後に、小説や映画で人気者になるよ」と思わず言いたい所だった。

そんな意味では俺は少しは歴史に影響を与えたのかもしれない。

平安の世では阿部晴明は俺の弟子という事になっている。

数年後、俺は驚くべき事に右大臣にまでなり、帝の名実ともに右腕となる。

そして、かぐや姫との運命の出会いへと刻一刻と近づいていた。

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